その拳をたかくかかげよ

●ところでさいきんのロックのひとというのはけっこう不利だなあとおもうのは、ちゃんとがんばってるひとはがんばってるんだけど、でもむかしのひとみたいにはいちいち感心されたりおどろいたりしてもらえないところだ。それどころか、むかしのひととくらべて、むかしのひとたちのほうがよかったよというふうにいうひとはけっこういて、いまのひとらはそのへんかわいそうです。どんなにがんばっても「でもむかしはね」とかいいだされちゃったら、そりゃやる気なくすよね。あるいはそこで一念発起して、ますますがんばったりするひともいるんだけど、あんまりそういうのはよい方向にむかうことはないみたいである。個人的には、いまのひとたちがむかしのロックのビッグネームとくらべて劣るということはないとおもう。むかしよりもいまのほうがすぐれてるともおもわないけど。ようするに、いまもむかしもそんなにかわらないよ。こまかい技術的なところの全般的なレベルはいまのほうがうえだけど、根っこのところはそんなにかわるものじゃないとおもう。ただ、むかしというか、さいしょのではじめのひとたちのほうが、なにをやるにしてもやりやすかったような気はすごくする。はじめのころにいたひとたちというのは、なにをやるにしてもそれはあたらしいアイディアなわけで、それはそれで価値のあることだから、なにをやってもたいていはゆるされた。だけどつぎにくるひとは、なにかべつなあたらしいアイディアをだしてこないと、それまでにだれかがおもいついたパターンを踏襲してるだけだとたんなる二番せんじということになってしまって、そのへんは不利だとおもう。かといってそうそうあたらしい音というのはおもいつくものじゃないし、むりやりひねりだそうとすると、なんだかひねこびた、きいていて疲れる音楽になってしまったりする。そのてんむかしのひとは、自由にのびのびとやれたので、そのへんの事情はさっぴいてあげなくちゃとおれなんかはおもう。なによりいちばんいいのは、いまのひとたちも自由にのびのびとやらせてやることだとおもう。あんまり周囲のことなんて気にしていると、けっきょくはろくなことにならないからだ。こうすればもっと売れるんじゃないかなとか、こうすればみんな感心するんじゃないかなとかかんがえて曲をつくるのは、いっけんあたりまえのことのようにおもえるんだけど、そんなふうにしてやがてはダメになってしまったバンドというのはもう無限にみてきた。けっきょくは、音楽なのだ。発表されてから十年二十年三十年の時がながれて、それでもいまだにおれがきくのは、じぶんがすきな音楽を、じぶんがやりたいようにやったひとたちだった。売れるだろうとか、よろこばれるだろうとかではなくて、じぶんがよいとおもう音楽をやったひとたちだった。そんな気がする。自己満足といわれたっていいじゃないか。なんといわれたってかまわない。じぶんがよいとおもうことをやって、それで売れなかったらしょうがない。その覚悟が、それが志というもので、われわれが認めてきたひとたちには、その志があったとおもう。志は時代をこえる。青少年たちよ。志をたかくたもて。フランクザッパをみよ。拳をたかくかかげよ。その拳をみつめていきよ。

2001年5月24日